ご意見ご提案195/「電気自動車を無人工場で製造」は衝撃か?
以下は日経BPネット(BPnetMail)に連載されている「熱血!会計物語…」というフィクションからの抜粋です。この中で、何処までがフィクションと言えて、何処までが現実・事実の反映かと考えていただきましょう。
人の真の自由とは、誕生と死に区切られる生涯という持ち時間を、その個人が自由に使えることで初めて達成できる物と、私は考え求めている。従って、「生きるための資金=生存費用」という対価を求める「労働」の強制には全く反対である。
しかし、そのような対価を求めない行動=自己の存在意義の追求であれば全く賛成であり、そのような行動の結果として労働の結果の生産物と同じ物ができたとしても、それは基本的に違う行為の結果がたまたま一致しただけであり、何ら矛盾を持つ物ではないのである。
とはいえ、現状の世界で生きる限り、「生きるための資金=生存費用」という対価を求める「労働」は厭でも人生について廻り、そこに自己の存在意義を重ねることで自らを納得させて、労働者たちの上前を撥ねる富裕者たちに「尊い労働で奉仕」し、自己の命を購って生きざるを得ない。
今増えている働かない人たちとは、このような現状に対して、明確な思想を持たないままに否定的行動を示している結果に過ぎないのであるが、「尊い労働で富裕者たち奉仕」しそれに疑いを持たない人たちによって、「働かない者=怠け者」的非難を受け、社会の落後者とレッテルをはられ、、戦前の隣組的監視の中で窮屈な思いをさせられ、最悪の場合「餓死か自殺か犯罪か」と選択させられて生涯を終えることになる。
だがしかし、本当に「労働は尊い」のか? つまり、「生きるための資金=生存費用」という対価を求める行為に、自己の存在意義を重ねることで自らを納得させて、労働者たちの上前を撥ねる富裕者たちに奉仕することに結果的になる「労働」は本当に尊いのか?
この疑問が私を突き動かし、考察させ、「無労働社会の希求」という結果を導き出させた。従って、金になるわけでもないこのような思想の普及に、自分の持ち時間を使って自由に生きて行動しているが、残念ながら現状では最低限の生存資金を求めないわけにもいかず、日々「労働に勤しんで」はいる。
だが皆さんは、富裕層利益の源泉たる企業の都合による無労働社会の成立に向き合わされて、信じていた「労働の尊さ」などは富裕者たちの奴隷となるべく洗脳された欺瞞に過ぎず、何千年以上にわたる数えきれない人たちの命が奪われてきた人類史という真実にいきなり直面して愕然とし、最悪、大多数の人たちが「餓死か自殺か犯罪か」と選択させられることになるのである。
あなたがそうならないためにはどうすればよいか?
富裕層利益の源泉たる企業が垂れ流す様々な害悪のうち、自分がたまたま気付いたごく一部の事に惑わされて、全体を見ることなく反対運動に突っ走るのではなく、このような社会構造自体を個人の真の自由が謳歌できる社会に転換することをこそ求めるべきなのである。
とはいえ多くの人たちは真実に気づくこともなく、「幸福な生涯」を送ったという幻想のもとで、「無知の幸福」教徒としての生を終えることになるのであろうが…。
なぜなら人は経験したことからしか基本的に結果を得ることができず、「餓死か自殺か犯罪か」と迫られるような経験をする人たちは少数者にしなければ富裕層の為の社会が成立しないから、大多数にまだ下があると中流意識を待たせる必要があり、「尊い労働」で人々は実質的に縛りつけられて、幻想4次元社会に埋没させられて生きていくのだからである。
「あなたはおとぎ話の住人か? それとも現実世界の生きている人間か? とくと考えてみたほうが良い。」と山路は独ごちてはみる。
第28話「私は、電気自動車を無人工場で製造したいと考えています」山路 独言「少なくともこの発想だけは現実・事実である」
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(1~3Pは割愛・ネットでご覧ください)
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「ご存じの通り、弊社はリッター50キロ走れるガソリンエンジンを開発してきました。おかげさまで世界的な評価をいただいています。でも正直言って、これだけでは先は見えています。おそらく10年先の主流は電気自動車になるでしょうし、20年先は燃料電池車でしょうね。
しかも電気自動車は、パソコンのようなものでパーツを組み合わせるだけ比較的容易に製造できる。ここでカギを握るのは、レアアースを必要としないモーター、安価で強力な蓄電池、そして無人工場です。これが実現すれば、自転車のように、安く、維持費が掛からない乗り物になるはずです」
すると西郷が首をかしげた。
「夢のような話ですね。特に、無人工場の話は…」
「そう思いますか。これまでメーカーの多くは、人件費の安い国で製造することで価格競争力を維持してきました。この流れを自国に取り込んで成功を収めた国が中国でした。
外国に工場を作れば国内の雇用機会が奪われ、つくり上げた付加価値の大半は、海外の国が享受することになります。しかも、虎の子のノウハウが漏れてしまうリスクもある。とはいえ、企業はインセンティブがなければ行動には移しません。
しかし最近、中国での製造コストがすごい勢いで上昇していましてね。アメリカのコンサルティング会社の研究ですが、中国の人件費は2010年代半ばまでにアメリカ国内の賃金水準に近づき、製造コストは数年以内にアメリカを抜くそうです。日本企業も同じ現実に直面します。
そんななか、日米で、工場を中国から国内に移す動きが出始めました。さらに、先ほど申し上げた無人工場も動き始めました。例えば、デジタルカメラの部品数は約600~1000点。それらをロボットが一貫生産するんです。
私は、電気自動車を無人工場で製造したいと考えています。それには金子さんの頭脳が必要なんです」
(この物語はすべてフィクションです)
人の真の自由とは、誕生と死に区切られる生涯という持ち時間を、その個人が自由に使えることで初めて達成できる物と、私は考え求めている。従って、「生きるための資金=生存費用」という対価を求める「労働」の強制には全く反対である。
しかし、そのような対価を求めない行動=自己の存在意義の追求であれば全く賛成であり、そのような行動の結果として労働の結果の生産物と同じ物ができたとしても、それは基本的に違う行為の結果がたまたま一致しただけであり、何ら矛盾を持つ物ではないのである。
とはいえ、現状の世界で生きる限り、「生きるための資金=生存費用」という対価を求める「労働」は厭でも人生について廻り、そこに自己の存在意義を重ねることで自らを納得させて、労働者たちの上前を撥ねる富裕者たちに「尊い労働で奉仕」し、自己の命を購って生きざるを得ない。
今増えている働かない人たちとは、このような現状に対して、明確な思想を持たないままに否定的行動を示している結果に過ぎないのであるが、「尊い労働で富裕者たち奉仕」しそれに疑いを持たない人たちによって、「働かない者=怠け者」的非難を受け、社会の落後者とレッテルをはられ、、戦前の隣組的監視の中で窮屈な思いをさせられ、最悪の場合「餓死か自殺か犯罪か」と選択させられて生涯を終えることになる。
だがしかし、本当に「労働は尊い」のか? つまり、「生きるための資金=生存費用」という対価を求める行為に、自己の存在意義を重ねることで自らを納得させて、労働者たちの上前を撥ねる富裕者たちに奉仕することに結果的になる「労働」は本当に尊いのか?
この疑問が私を突き動かし、考察させ、「無労働社会の希求」という結果を導き出させた。従って、金になるわけでもないこのような思想の普及に、自分の持ち時間を使って自由に生きて行動しているが、残念ながら現状では最低限の生存資金を求めないわけにもいかず、日々「労働に勤しんで」はいる。
だが皆さんは、富裕層利益の源泉たる企業の都合による無労働社会の成立に向き合わされて、信じていた「労働の尊さ」などは富裕者たちの奴隷となるべく洗脳された欺瞞に過ぎず、何千年以上にわたる数えきれない人たちの命が奪われてきた人類史という真実にいきなり直面して愕然とし、最悪、大多数の人たちが「餓死か自殺か犯罪か」と選択させられることになるのである。
あなたがそうならないためにはどうすればよいか?
富裕層利益の源泉たる企業が垂れ流す様々な害悪のうち、自分がたまたま気付いたごく一部の事に惑わされて、全体を見ることなく反対運動に突っ走るのではなく、このような社会構造自体を個人の真の自由が謳歌できる社会に転換することをこそ求めるべきなのである。
とはいえ多くの人たちは真実に気づくこともなく、「幸福な生涯」を送ったという幻想のもとで、「無知の幸福」教徒としての生を終えることになるのであろうが…。
なぜなら人は経験したことからしか基本的に結果を得ることができず、「餓死か自殺か犯罪か」と迫られるような経験をする人たちは少数者にしなければ富裕層の為の社会が成立しないから、大多数にまだ下があると中流意識を待たせる必要があり、「尊い労働」で人々は実質的に縛りつけられて、幻想4次元社会に埋没させられて生きていくのだからである。
「あなたはおとぎ話の住人か? それとも現実世界の生きている人間か? とくと考えてみたほうが良い。」と山路は独ごちてはみる。
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